たとえば転勤族ですっていう人がいたとします。言葉が古い???^^;
転勤が多くて大変だという話題になりそうなのは容易に想像がつきます。サラリーマンだから仕方がないという言い方をする人もいると思いますが、果たしてそうでしょうか?
人は選択して生きている
多様性が高まっている現代社会。都心部などは選択肢が多すぎて迷うことも多いです。そして人生は選択の連続です。どう意思決定してどう生きていくのか・・・。
先ほどの転勤族の話ですが、それもまたそういう生き方を選択しているといえるのかもしれません。
具体的に言うと、恐らくその立場となれば
・転勤を受け入れる
・転勤のない別の会社に転職する
・独立して個人でビジネスをする
・転勤を拒否する
という選択肢がさくっと思いつくでしょう。
現実には選択しにくいものもあるかもしれませんが、選択肢としては存在しているわけです。
では、なぜ現実には選択しないのでしょうか?
環境を変えるメリットもあればリスクもある
先の例で続けるなら、転職や独立は収入の絶対額の話だったり安定性が損なわれる可能性があったりするわけですね。つまり、今の環境から変化するリスクがあるわけです。なので、今の生活についてはある程度自分で選択していることになります。
もっと日常的な例にすると、早起きするのも選択しているし、残業するのも選択しているわけです。
いやいや。残業は仕方ないんだよという話も聞こえてきそうですが、残業のない会社や仕事に移るとか、信頼を失って仕事をほったらかすという選択肢もあるかもしれません。でも、やはり最適解ではないという判断のもと今を選択しているわけです。
人は仕方ないといいながらも実は選択している。そう考えると、自責で物事を考えられるし、改善の方法も見つけやすいかもしれません。
とはいえ、机上で考えるほど現実の世界というのはうまく回ってくれないのも世の常です。自分の環境にあわせて現実的なものを選択する。でも、その現実的っていうのも解釈で、非現実的な解なんていう選択肢もないかもしれません。
なんか堂々巡りになりそうなことを書いてしまいましたが、要は気づかいないうちに自分で自分のことは決めているってことです。
信念が変われば、思考も変わる
思考が変われば、言葉も変わる
言葉が変われば、行動も変わる
行動が変われば、習慣も変わる
習慣が変われば、人格も変わる
人格が変われば、運命も変わる
via:マハトマ・ガンジーの言葉
自己啓発系の本などではときどき出てきますが、本質的なもので繰り返したくなる言葉です。
可能性を信じつつ、可能性を広げるために、よりより習慣を身につけて、よりよい選択ができるように日々を丁寧にいきていきたい。そんな風に最近思ったりするわけです。
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