阪神淡路大震災から18年が経ちました。今日は1月17日。そう、あの震災のあった日です。
震災というと東北地方太平洋沖地震が今では思い出されますが、自分の記憶にある最初の大震災は阪神淡路大震災です。
当時私は16歳で高校1年生でした。実家の兵庫県たつの市は神戸から100kmほど離れた兵庫の西の果てですが、今でも当日揺れたときのことは思い出せます。
朝いつもは目が冷めない時間に目が覚めて、二度寝をしようとしたときに激しく揺れました。動物の本能で事前に察知したんでしょうか。揺れる本の数分前に目が覚めました。揺れたときは何が起きたかよくわからず、布団の中でどうしようもなく横になっていました。本棚から美術の教科書が落ちたのを覚えています。
うちの近所はたいした被害はありませんでしたが、それでも学校で余震が続いていました。どうやら神戸あたりが震源地で、大変なことになっているらしいというのがわかったのですが、当時の生活圏がたつの市周辺だったので今ひとつピンときていませんでした。
震災を目の当たりにしたのはサッカーの試合で神戸に行ったとき。三宮の駅前にあるそごうが半壊して、デパートのフロアが外から見えていました。映画みたいな現実に言葉がでませんでした。
その後みるみる街が復興していき、高校を卒業する頃には表面上は随分綺麗になりました。そして、神戸の大学に進学し、神戸で一人暮らしを始めました。表面上は綺麗になりつつも、やはり完全には復興しておらず、近所には仮設住宅がいくつもあり、まだまだたくさんの人が自分の家に帰れない状態。でも、当時の世間知らずな自分にとってそれが日常でした。
そんな街も、どんどん再開発され、大学を卒業して8年後に同じ街に戻ってきときには仮設住宅はなくなり、後には高層マンションが建っていました。そして、それがまた自分にとっての日常になりました。
当時16歳だった自分の歳が2倍強になるほどの時間が過ぎています。その年に生まれた子はもう高校を卒業する年齢になっています。時間の流れはやすらかですが止まりません。長い時間が流れました。
6434人が亡くなった阪神・淡路大震災は17日、発生から丸18年を迎えた。約1万本の竹灯籠が「1・17」を浮かび上がらせた神戸市中央区の東遊園地には、手を合わせ、ろうそくに火をともす遺族や市民が絶えなかった。各地で追悼行事があり、被災地は未明から、静かで深い祈りに包まれた。via: 神戸新聞NEXT|社会|阪神・淡路大震災18年 ささげる祈り
遺族の方にとっては忘れられない日です。自分は親近者を亡くしたわけではないのでこの件に関して言うといわゆる一般人。ですが、今こうして復興した神戸の街を見て、震災を乗り越えた強さと努力に人の生きる力の偉大さを感じると同時に、この日を忘れてはいけないんだと気が引き締まります。今日健やかに生きられることに感謝をしつつ、未来へと歴史をつないでいければと思います。
※今日のアイキャッチ画像は3年前の2010年1月17日の追悼行事の写真です。
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