黒子のバスケ脅迫事件被告の心象風景から育児につながるものを考察する

あまり詳しく知らないのですが、黒子のバスケという漫画の作者を脅迫した事件がありました。その裁判の報道からのリンクを呼んで、なかなか興味深かったので自分なりに考察を書いてみます。と言っても犯罪心理とかよくわからないのでとりあえず読書感想文みたいなものです。

元ネタはこちら
via:【黒バス脅迫事件】実刑判決が下った渡邊被告のロジカルでドラマチックな『最終意見陳述』があまりにも切ない | かみぷろ

この事件、冒頭意見陳述から判決が出るまでに被告が拘置所で本を読んだり、精神科医と話をしたり、自分を見つめなおして考えたようで、A4のレポート用紙44枚にも及ぶ『最終意見陳述』で当初の考えと変わったということを述べてるようです。この最終意見陳述を見る限り、このブログの方も書いてるように文章がよく出来ている…。内容は別としてわかりやすい。勢いでやりましたーというタイプじゃない気がしました。また、秋葉原の殺傷事件の被告へと記述が及び、それによると共通点があるようです。

人間はどうやって「社会的存在」になるのでしょうか? 端的に申し上げますと、物心がついた時に「安心」しているかどうかで全てが決まります。この「安心」は昨今にメディア上で濫用されている「安心」という言葉が指すそれとは次元が違うものです。自分がこれから申し上げようとしているのは「人間が生きる力の源」とでも表現すべきものです。 乳幼児期に両親もしくはそれに相当する養育者に適切に世話をされれば、子供は「安心」を持つことができます。例えば子供が転んで泣いたとします。母親はすぐに子供に駆け寄って「痛いの痛いの飛んで行けーっ!」と言って子供を慰めながら、すりむいた膝の手当をしてあげます。すると子供はその不快感が「痛い」と表現するものだと理解できます。これが「感情の共有」です。子供は「痛い」という言葉の意味を理解できて初めて母親から「転んだら痛いから走らないようにしなさい」と注意された意味が理解できます。そして「注意を守ろう」と考えるようになります。これが「規範の共有」です。さらに注意を守れば実際に転びません。「痛い」という不快感を回避できます。これで規範に従った対価に「安心」を得ることができます。さらに「痛い」という不快感を母親が取り除いてくれたことにより、子供は被保護感を持ち「安心」をさらに得ることができます。この「感情を共有しているから規範を共有でき、規範を共有でき、規範に従った対価として『安心』を得る」というリサイクルの積み重ねがしつけです。このしつけを経て、子供の心の中に「社会的存在」となる基礎ができ上がります。 またこの過程で「保護者の内在化」という現象が起こります。子供の心の中に両親が常に存在するという現象です。すると子供は両親がいなくても不安になりませんから、1人で学校にも行けるようになりますし、両親に見られているような気がして、両親が見てなくても規範を守るようになります。このプロセスの基本になる親子の関係は「愛着関係」と呼ばれます。
via:【黒バス脅迫事件】実刑判決が下った渡邊被告のロジカルでドラマチックな『最終意見陳述』があまりにも切ない | かみぷろ

ここの記述に関しては本人の経験とどこかの文献から総括したのだと思いますが、なるほどと思わず感じてしまいます。

安心のために感情の共有があり、規範の共有があるという。そう考えると、子供に対しての接し方も少し変わる気がします。しつけ・教育はある程度強制になるところもありますが、感情を共有することで子供の理解が進むのかもしれません。

更に社会との接点の持ち方論になると、社会と関係を仮設するという表現で人間関係について考察しています。そしてその関係性がなくなったときにその関係性を維持するための手段として犯罪を起こして社会との接点を維持するという心理なのだそうです。これは秋葉原事件の被告も共感しているという記事があり、共通点なんだそうです。

その辺りを端的にたとえた表現がこちら。

長々と説明を致しましたが、自分が申し上げたことの意味がちっとも分からないという人も多いかと思います。ですから分かりやすくロールプレイングゲームにたとえたいと思います。 勇者は酒場で仲間を見つけてパーティを作り、街の外に出て仲間と力を合わせてモンスターと戦ってレベルを上げます。傷つけば母親の待つ実家に泊まって体力を回復します。レベルを上げている内に体力の最大値は増え、回復魔法も覚えて、実家に泊まる必要がなくなります。そして魔王を倒します。これが普通の人の人生です。 酒場で仲間になることを誰からも拒まれたり、モンスターとの戦闘で味方であるはずの仲間から攻撃されるのがいじめです。傷ついて実家に泊まって体力を回復しようとしたら、母親に宿泊を拒否されたり、母親から攻撃されて回復ができないという状況が虐待です。このような状態で自分が勇者であると信じられなくなった勇者が「生ける屍」です。体力が「安心」です。回復魔法が内在化した両親です。実家に泊まる必要がなくなった状態が自立です。勇者は「生ける屍」の呪いのため体力の最大値が増えませんし、回復魔法は覚えられませんし、街から遠くに行けません。仲間に対して不信感を持っている状態が対人恐怖で、レベル上げのために街の外に出る気が起きない状況が対社会恐怖です。レベル上げが努力です。魔王を倒すことが勝利であり努力の報いです。
via:【黒バス脅迫事件】実刑判決が下った渡邊被告のロジカルでドラマチックな『最終意見陳述』があまりにも切ない | かみぷろ

むぅ。幼少期の家族との接し方や成功体験を積むことがいかに大切かを感じてしまいます。多分本来的には色々と違うことを感じるべきかもしれませんが、育児の中に生きるものが色々と潜んでるような気がしました。

ということで、まとまりないですが。

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